【13歩目】環境が陶冶(とうや)する

こんにちは、NPO法人アカツキ代表理事の永田賢介です。ブログ『NPOの内部コミュニケーション〜ひとりでできぬもん!』は、今回で13回目を迎えました。ほぼ月1ペースで書いているので、気づけば一年経ったということですね。

急がず、焦らず、しかし歩みを止めることなく、これからも僕のアカツキにおける考え方を皆さんと共有していきたいと思っています。

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さて、今回のタイトルには少しマニアックな単語を使用してみたのですが、ご存知の方はいらっしゃるでしょうか?これは、スイスの教育者であるJ.H.ペスタロッチが提唱した「生活が陶冶する」という言葉、概念を踏襲しています。(ちなみに彼は、今で言う「子どもの貧困」問題に非常に問題意識が高く、自身も農園や孤児院の経営の実践をしていたそうです)

というのも、僕は大学時代に児童教育学科で保育と教育哲学を学んでおり、当時の恩師に教えてもらった彼の思想や行動には非常に共感し、その後の自身の教育観に強い影響を受けているからです。

「陶冶」は、日本大百科全書(ニッポニカ)の解説では、以下のように紹介されています。

「もとは漢語で陶器や鋳物をつくりあげるという意味である。転じて、人間のもって生まれた素質や能力を理想的な姿にまで形成することをいう。教育と厳密には区別しにくい概念であるが、やはり違いはある。教育が人間の成長に関する包括的な概念であるのに対して、陶冶は、知的・道徳的・美的・技術的諸能力を発展させることによって、よりよい人間を形成しようとすることである。」[森川 直]

 

また彼がイギリス人の友人にあてた34通の書簡である『幼児教育の書簡』のなかでは、このようにも述べられています。

「人間のすべての魅力を子どもは与えられているが、その能力はいずれも発達していないで、まだ開いていない芽のようなものである。その芽が開くとおのおのの葉が開いて、開かない葉は一枚も残らない。教育の過程はこのようなものである。」(合自然)

 

これらのことや、自身の様々な経験から、僕自身の教育に対する考え方の根底には、「上から下に新たに与えるものではなく、その人の中から産まれるものを適切な環境を整えて待つこと。」という思想があります。

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例えば、ある飲食店の調理場において、社員である店長が学生アルバイトに“クリンネス”(店舗を美しく保つこと)を教育したいとしたら、どのような選択肢を取るでしょうか?僕が考えたのは、このような例題でした。


1)面と向かって伝える教育…清掃マニュアルを渡し、口を酸っぱくしてその重要性を説明する
2)背中で教える教育…自分がいつも率先して清掃している姿を、そのアルバイトにみせるようにする
3)空間が人の行動に影響する教育…調理場がいつも美しく保たれていて、汚れると気になって仕方ない


もちろん、この中の 1)がダメで、3)が素晴らしい という意味ではありません。相手の段階や、その時の状況に応じて、研修やOJTが必要になるでしょう。

(但しそうは言っても、マネジメント層の発言と行動が不一致であれば、説得力はゼロですので、組織の風土や文化の重要性はご理解頂けるかと思います。)

 

世の中がスピードに追われていて、1>2>3という優先順位を突き詰め過ぎた結果、自分で気づく機会があまりに奪われてしまい、更に言えばそのことにより納得感や定着率が不十分で、結果的には非効率な学習を行ったり来たりしているような印象もあります。

いわゆる、かつてのモノづくり・技術大国としての日本であれば、それで良かったのかもしれません。決められた工程を守り、仕組み通りに、早く、効率的に動きさえできれば、必ず同じアウトプットが出せた。

けれども、マニュアル通りに動くだけの仕事は全て機械に奪われつつあり、人に求められるのは、接客や付加価値によるサービスがメインであり、そこには、「答えのない課題に対して」「自分の頭で考えて立ち向かう」ことが必要とされています。

まして、「収益を最大化する」ことがミッションではなく、自分たちの目指す世界像(ビジョン)や挑む命題(ミッション)すらも、自分たちで設定しなければならない非営利組織ならなおこのことです。

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NPOではしばしば、人材育成が難しいという声が聞こえてきます。

代表からは「職員の意識が・モチベーションが低い」と、逆に職員からは「指示が曖昧でわかりにくい・マネジメント力が低い」と言われていたりしますが、実は、ただ単に環境を適正に整備できていないだけなのかもしれません。(そもそも本人同士が合意をしていない、待つ時間が足りないという意味も含め)

 

そういえばちょうど、先日認定NPO法人カタリバの理事でもある、東京大学の中原淳准教授がこんなこと書いていらっしゃいました。

今は「誰かを待つことができない、わたしたち」も、昔は「誰かに待たれる存在」であった、ということです。わたしたちの一挙一動を、かつて「待って、待って、待ちこがれて」いた人がいた。そういえば、少し前までは、今は「誰かを待っている」あなたも、「誰かに待たれる存在」であった。
「人を育てること」とは「待ちこがれること」である より引用

 

かの、マハトマ・ガンジーもこう言ったと伝えられています。

良きことはカタツムリのようにゆっくり進む。だから、自分のためでなく人々のために働く人は、いたすらに急がない。なぜなら、人々が良きことを受け入れるには、多くの時間が必要なことを知っているからだ。

 

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NPOの目指す理想の未来が一朝一夕で現れないのと同じように、「人事を尽くして天命を待つ」在り方で日々を過ごしたいし、自分も、そうやって信じて待ってもらえたら、きっと頑張れるな と思っています。

 

文責:永田賢介
Photo by:Yuji Sasaki
本記事内の写真は、アカツキ設立年である2012年時、最初の役員研修であるハウステンボス日帰り旅行のものを使用しています。(ちょうど、ドラクエ展のあっていた時期でした!)