【20歩目】「共感」の主語と目的語

こんにちは、NPO法人アカツキ代表理事の永田賢介です。
『寄付者が主役のファンドレイジング〜ひとりでできぬもん!』では、アカツキ自身のファンドレイジングの実践から得られた学びや、考え方を、みなさんと共有していきます。
今回の写真は、アカツキが1月に実施した役員・職員慰安旅行から。今年もどうぞよろしくお願いします!

先日、ファンドレイジングのセミナー講師でお話をさせて頂いた時に、あるNPOの方から「多くの人を自団体に共感させるような技術を教えてください」というようなご質問がありました。
この方の発言と同じような関心を、多くのNPOの方が持っていらっしゃるかもしれませんが、僕は日本語としてかなり違和感がありまして、今回言語化してみることにしました。

ファンドレイジングにおいては「共感」が大事だと言われますし、そのこと自体にはアカツキも同じように考えています。ただ、このブログのタイトルにあるように、その主語と目的語は明確にされないまま、使われてしまうことが多い気がしています。

そもそも「共感」は普通「共感する・共感した」といったように、自分を主語として使われる自動詞です。「共感させる」という無理やり他動詞的な使い方をした途端に、相手の心をコントロールしようとするような印象を受けてしまわなないでしょうか。
また、その共感が誰に向かってされているのか、という目的語を考えた時に、受益者や当事者に対してではなく、NPOや社会起業家に対する共感に、すり替わってしまっていないでしょうか。

例えば、経済的に困窮した家庭の子どもを支援する、キラキラした起業家に対する「すごいね!さすが!かっこいい!」という共感でお金が集めることには、ある種の怖さを感じてしまいます。
社会を変えるヒーローを見つめるような眼差しに、貧困者=かわいそうな弱者として扱われてしまうことに対する、当事者の想いや自尊心、時には人権が見落とされていはしないだろうか と。

さて、最初の「多くの人を自団体に共感させるような技術を教えてください」という質問に対する僕の回答は、「NPOの取り組む環境や福祉、国際協力等の活動に関心を持たない人・寄付をしない人に対して、まずは自分が共感(≒理解)しようとするところから初めてはいかがでしょうか」というものでした。

NPOやソーシャルに全く関心がない人にも、毎日の仕事・家庭・生活・趣味等があります。その人にとって優先順位の高い、大切なものがあり、日々忙しいはずです。
それを知ろうとする努力なくして、なぜこちらの要望だけを伝えることができるでしょうか。

市民活動としてのNPOには、人々の声を集め、社会に発信する役割があります。
「伝える」前に「聞く」役割があります。
他者を「巻き込む」プレゼンテーション技術を磨く前に、他者の中に「巻き込まれていく」姿勢や、聴く・受け止める技術が必要です。

そうでなければ、早晩、NPOはその理事や職員の満足感のためだけに存在し、他者の痛みを喧伝してお金を稼ぐ、単なる不幸ビジネスになってしまうのではないかいうと懸念を抱いています。