【23歩目】ファンドレイジングは誰を幸せにできるか

こんにちは、認定NPO法人アカツキの永田賢介です。

『寄付者が主役のファンドレイジング〜ひとりでできぬもん!』では、アカツキ自身のファンドレイジングの実践やコンサルティングの経験から得られた学びや、考え方を、みなさんと共有していきます。


NPOで働いている人、ボランティアをしている人などは、しばしば家族や友人、知り合い、職場人などから「偉いね、利他的だね」と言われることがないでしょうか?またその一方、NPOの人がその活動に理解を示さない・協力的でない人を「自分さえよければいいのか、利己的だ」と非難するケースもあります。

自分自身、このような場面に遭遇するたび、ちょっと違和感を持ち続けていました。「利己と利他って、分けられるものなのだろうか?」と。そして、ある行動経済学の実験で、その辺りのことが腑に落ちたので、ご紹介します。

そう、この実験結果では、人は誰でも「誰かのために行動することで充足感を得る」、加えて「お金とは違う理由がモチベーションになることもある」ということが説明されています。
『オイコノミア』というNHKの番組で、ある研究者が説明するには、人間は「利他的な人」と「利己的な人」に分けられるのではなく、行動するときの動機に、2つのスイッチがあるようなもの ということ。それが専門的用語では“市場規範”“社会規範”と呼ばれるそうです。

さらに、例として説明されたのは、友人から「次の週末、引越し手伝ってよ」と言われた後に、続く言葉が「終わったら晩ご飯おごるからさ」と「5,000円払うからさ」であったら、それぞれにどのような違いを感じるか?ということ。
友人から「手伝って」と言われたときは、“社会規範”で動く心づもりであったのに、そこに5,000円という金額、つまり“市場規範”を持ち込まれてしまうと、まるで友人としての信頼関係や気持ちが、お金に、しかもバイトより安い金額に換算されてしまったような、感覚を覚え、不快な気持ちにすらなりかねません。


これは、無償で働いてくれるボランティアに対しても同じです。団体のビジョンやミッション、受益者への共感、または自分を高める学びなど、自らが発見したモチベーション、時に誇りを持って活動に参加してくれていた人に対して、NPO側が「良かれと思って」助成金で取得した資金を払おうとすると、失礼にあたったり、逆にモチベーションが下がる場合があります。つまり、“市場規範”のスイッチが入った途端、割りに合わないバイトとして、金額に見合う働きしかできなくなるということです。

もちろん、プロであるデザイナーに、こちら側が一方的に「社会貢献で良いことしてるんだから、無償でやってよ」というのは失礼なことです。このスイッチは相手によって、時と場合によって、話し合いの中で見極め調整していかなければいけません。交通費分の実費負担があることで、気持ちよくボランティアを継続できる場合もあります。

最後に、知り合いのファンドレイザーがしてくれた話を紹介します。
彼は、初対面の人に対面で話しかけてNPOへの支援を依頼し、マンスリーサポーターを獲得することを生業としているのですが、かなりの確率で、寄付者側から「ありがとう」と感謝をされるそうです。

寄付を受け取った側がお礼をするのは、当たり前ですが、逆はなぜか!?以下のようなことを仰る寄付者の方が、しばしばいらっしゃるそうです。

「これまで自分は自分と、自分の家族のために働いてお金を稼ぎ、使ってきた。けれど、世の中に困っている人や、助けを求めている人がいることを知らなかったり、気にしなかったわけじゃない。ただ、信頼できる寄付先が見つからなかっただけだ。今回、あなたが声をかけてじくれ、わかりやすく説明し、こちらの疑問にもちゃんと答えて、私ができることを提示してくれた。寄付をすることで、それまで心の奥にもやもや使えていたものが、少し取れてスッキリした気がする。ありがとう。」

 

NPOに関わる人間だけが、社会のことを考えている と思い込むのは、大きな勘違いであり驕りなのだということ。そして、努力と工夫次第で、“社会規範”というボタンにたどり着くことができると、気づかされるエピソードです。

 

https://aka-tsuki.org/re02/blog/money/

以前のブログにも書きましたが、ファンドレイジングは単なる「資金調達」ではなく、寄付者が社会に参加し変革の当事者になる、そして寄付者自身が幸せになったり、エンパワーされる「機会の提供」だとアカツキは考えています。

このような視点を持つことで、今のファンドレイジングを見直す、また新たにファンドレイジングに取り組みたい と思うきっかけになれば幸いです。