【35歩目】ソーシャルグッドは全体主義の夢を見るか?

こんにちは、認定NPO法人アカツキの永田です。
2015年から続くブログ『ひとりでできぬもん!』、NPOのファンドレイジングやコミュニケーションについて、その時気になっているテーマを取り上げていきます。

「社会に良いことをしよう!」という掛け声は、一見確かにその通りで、わざわざそれを否定するつもりもありません。
ただ、社会に『良い』とは何か?という思考や疑いを挟むことを脇に置いてしまうのは、やや浅薄で、危うさを含むことにもなるだろうと僕は思います。
アカツキではNPO法人に関する基礎的な説明会やセミナーでは毎回必ず、市民活動の理念や法制度の背景を説明していますが、その時「NPOは社会に良いことをする活動です」とは言いません。「NPOは自由な活動です」「市民が自由な活動をすることで結果的に社会が良くなっていきます」と説明しています。これらは似ているようで、かなり違うものです。

またそのことを具体的に説明するために、北九州の公害規制の運動や、大阪のエレベーター設置運動の話を紹介しています。詳しいことは興味を持った方には検索して頂けたらと思い、ここには記載しませんが、いずれも、当時から「社会に良い活動」と評されていたわけではありません。
寧ろ、せっかく高度経済成長で盛り上がっている雰囲気に水を差す、或いはマイノリティのワガママな主張だと扱われていた側面が大きいものです。

社会は常に流動的で、ある時代において『良い』とされていた規範やルールが、後の時代においては重大な人権侵害として非難の対象となることもあります。
ほんの2〜30年も遡れば、介護は家族がしなければならないもので、産後女性は自己責任でケアの時間や環境を確保することもできませんでしたが、今では一定の社会保障制度やサポートの必要性の共通理解が生まれています(無論、まだ万全ではないですが)。
もっと昔には、女性から学問の自由や政治参画の権利を奪い、イエの中に押し込めて男性が支配することが社会に『良い』ことであったし、イエ同士の関係維持や権力の獲得のため、娘は贈り物のように使われ、身分を超えた自由恋愛は危険思想とも扱われたこともあります。

黒人やアジア人は奴隷や召使として白人の帝国における生産性向上や栄華のための道具とされ、ユダヤ人はドイツの一体化や国民感情高揚のために、法的に正当な手続きで誕生した政府に殺されました。
同じ頃、日本では"天皇万歳"と叫んで戦争で人を殺す・死ぬことが讃えられていました。そう、それらは社会秩序維持のための仕組みであり、文化であり、当時の『ソーシャルグッド』でした。
しかし、そのような歴史は間違いであり…少なくとも、人や社会を幸せにしませんでした。多くの血を流し、痛みや悲しみや恨みをつくりだしてきた歴史を、証明し、反省し、変えようと闘う人たち…更に分かりやすく言えば"反体制派"の尽力によって、少しずつ平等や平和に近づいた今の社会があるとも言えるでしょう。

現在の社会の中で『良い』とされるものだけを後追いで再生産していくだけでは、社会は停滞します。
勿論、無秩序であることや不法、不当であることが次の時代をつくるのかといえば、そうではなく、きっと結果論でしか見えないもの、グレーゾーンの正しさがあると考えられます。しかし自分たちが主張していることがただのワガママなのか、それとも未来のスタンダードなのか、考え続けるのは、面倒でしんどいことです。
そんな時に便利なのが、市場によるニーズ、政府のような権力による「格付け」や「認証」です。お金になるのだから正しい行為のはずだ、国や行政が認めるから良い事業に違いない。と。迷うことをやめ、楽になることができます。

けれども、規制緩和や、技術イノベーションとは異なる、社会の構造を変えるような大きな変化が必要なものほど、先進的或いは先鋭的であり、マーケットはすぐにはついてきません。また、マイノリティの人権の分野は、票にもお金になりにくく、してはいけないものも多くあります。
市場や政府の力だけでは、適切に開拓されづらい分野というものがある。だからこそ、事業者ではなく、当事者や生活者の立場や視点をベースにした、市民による活動が必要になるのだと、僕は思うのです。

売上拡大に行き詰まり、委託事業も大企業に奪われつつあるソーシャルビジネス界隈では、政府や自治体に営業をかけて、制度をつくらせ、受援者を囲い込み、税金から自分たちの仕事を生み出す仕掛けが流行っています。
しかし、権力を持つ人、声の大きな人、お金がある側が「理解できる」「わかりやすい変化が起きる」「金や票につながる」テーマや物事だけを進めていく時、NPOはその自由さを失い下請け化し、ソーシャルはその主語や目的を見失うかもしれません。何が私たちの未来にとって『良い』のか、そうではないのかの価値判断を、特定の誰かの、ましてやAIに委任せず、現状を疑い、考え続けることが必要ではないでしょうか。

 

*本記事の写真には、アカツキが月1回開催している、あまり議題や目的を決めずに、気になっていることを話し合う「事務局共有会」のものを使用しています。