【37歩目】神なき時代のガバナンス
こんにちは、認定NPO法人アカツキの永田です。
2015年から続くブログ『ひとりでできぬもん!』、NPOのファンドレイジングやコミュニケーションについて、その時気になっているテーマを取り上げていきます。
2012年にアカツキを立ち上げて、アカツキがNPO・市民活動・非営利組織の経営として力を入れてきたことの1つは「いかに創業者(自分)の権力性を弱めるか」ということでした。立ち上げの初期から、代表交代を重要な目標にしていましたし、実現もできました。そこに向かう過程と並行して、創業者の一人である永田よりNPO経験が長く・年齢が上で・頭が上がらない方に理事になってもらうこともお願いしました。(他にも、永田の写真が極力SNSに出ないようにしたり、活動報告は個人アカウントでは書かず、団体FBページのみにしたりしていました)。
関係者の中には、「代表がスピーディーに意思決定すべきだ」とか「他の理事や職員にしっかり指示を出して欲しい」という人もいましたが、僕と、今も残っている理事や正会員はそうは思っていませんでした。一緒に考えて、自分の意見に反対してくれる人、批判してくれる人を、大事にしようと努力してきました。もちろん、万全だったわけではなく、双方に痛みもストレスもあった訳ですが。

今は、理事会の緊張度も、安定度も、動的平衡というか絶妙なバランスで整っていて。それぞれ、言うべきことを言い、同時に深く聞いて、誰かの案やアイデアを「承認」するのではなく、話し合った結果生まれてくる、新しくより良い解決策や価値観を大切にできていると思います。総会では応援もツッコミも、色んなお声を頂くことができます。事務局の中でも、担当者一人が考えて一人で決めたことより、行き来しながら時間をかけて話し合って決めたことの方が、ミスも少ないし、より良いクオリティの仕事ができる、結果的にスムーズになるということが、体感的に共有できていると思います。
何より、孤独にならずに済む。
代表者は孤独だ なんて言われたりもしますが、それは、仲間を対等だと捉えていないから、同じものを見ようとしていない、見せられないが故の、勝手なヒロイズムなんじゃないかと、感じています。僕は全く孤独ではないです。自分の意見が通らなくても、ぞんざいにされていると感じはしませんし、寧ろ、そこにこそチームとしての自由と可能性を見出せる。1人で前に立つ時も、1人で喋る時も、1人じゃない実感があります。「感謝」とか「支えてもらっている」とか、そういう気持ちも当然ありますが、その言葉を掲げることで、主体と客体を分けてしまう危うさを察知して忌避してしまうのです。

最近は、NPOのガバナンス・コンプライアンス という言葉が、誰か都合やビジネスとして流行らされつつあるように感じていますが、例えば、規定をつくって、そのルールを指示系統や権限で守らせようとすることに、あまり意味はありません。コピペの規定や会議の決裁権が増えれば増えるほど、むしろ相対的な「違反」状態は増えると言っても過言ではないでしょう。事実、規定どころか定款の存在すらメンバーが知らされておらず、形だけになっている。そのプロセスに参画していない人からすると、納得感の無い押し付けになっているケースも少なくありません。校則を厳しくするほど、管理する側もされる側も苦しくなって、騙し合いや抜け道を探すだけになるのと、同じです。
大企業の真似をしたマネジメントで組織をつくっても、NPOにはうまくマッチしないばかりか、お互いを試したり、詰めたりするようなコミュニケーションが増えてしまいがちではないでしょうか。結果、お金で雇用し、給与を増やし、指示命令を疑わず守る「労働者」だけが増えても、活動の楽しさや安心感、創造性は失われていくばかりです。まして、理事を定期的に交代させていけば、代表に物申せる人はいなくなり、独裁状態になってしまう。代表にだけ焦点をあて、リーダーとはどうあるべきか論ばかりが語られ、支援者やメディアや行政が、代表とだけコミュニケーションをとっていくことは、キラキラしたソーシャル“グッド”の裏側に、多くのハラスメントを生み出しています。

NPO・市民活動・非営利組織の経営の中で、ガバナンス・コンプライアンスを強化していくためには、組織に緊張関係と議論の機会をつくり、しつこく「話し合い続ける」ことしかないかなとアカツキは考え、そうしてきました。理屈やデータはもちろん大事、けれども、関わる人の感情や、生きてきた背景、価値観をぶつけ合い、すり合わせ、違いを知り合うことで、お金や権力とは違う協力関係をつくっていけることが、共に進む力、時に立ち止まる勇気になっていくはずです。
組織の中では、価値観やイデオロギーの対立を避けよう、“語る人”と“聞く人”を分け、素直に、波風立てず、表面的に一体化してやり過ごすことが大事だという人もいるでしょう。でも、それは結果的には皆が苦しくなる道だと僕は思います。権力は、放置すれば自己肥大化し、暴走します。権利は、闘って守ったり、勝ち取らなければいけない時もある。そうやって、世界は差別や暴力を減らし、健康で豊かになる努力をしてきました。例えば、日本社会には、「憲法」や「三権分立」という、優れた仕組みがあります。

昔の地縁・血縁であれば、家長がコミュニティのルールそのものでした、国や行政であれば計画に従い、会社組織であれば経営者が決定権を持つということになります。NPO・市民活動・非営利組織は何を軸にするのか、ビジョンやミッション、定款、ロジックモデルなどを聖書やマントラ(真言)のように扱う?でも、それを書いたのは誰でしょう?
そんな逡巡の中で、いち個人をカリスマと崇めて盲信してしまうのではなく、オープンな人と人の牽制の間に、「私たちの意思で私を律する」道義や規範を手作りしていける。それこそが、神なき時代の「お天道様が見てる(ガバナンス)」かもしれないと思うようになりました。
「あなたたちは未熟だ/私が育ててやる」「あなたの考えや意見は必要ない/私たちの言うとおりにすれば安心だ」そんなメッセージを浴びせてくる人たちもいるでしょう。そんな声には耳を貸さないし、自分の口から発したくもない。「あなたの話を聞かせてください」「一緒に困って、一緒に考えましょう」「そうすれば、話し合ってさえいれば、必ず道が拓ける」と信じるために。
アカツキのコンサルティングや、立ち止まり対話するための助成金・AKBN(アケボノ)ファンド、ふりかえり評価などは、それらを具体的に実現していくための、宣言であり、繰り返す実践です。

*本記事は、2023年8月にFacebookに投稿したものを、一部修正して掲載しています。
*本記事の写真には「2025年度アカツキ総会」のものを使用しています。


