【34歩目】ファンドレイザー人権宣言

2023年度末、「認定ファンドレイザー資格」を手放しました。
理由は端的に言えば、アカツキにおける「市民参画機会の提案」というファンドレイジングと、今のメインストリームである「資金調達額とインパクトの最大化」というファンドレイジングの捉え方の、ズレが大きくなってきたからでした。
もう10年近く前?認定ファンドレイザー資格合格者の集いで、自分がスピーチした『資格とは責任を負う権利である』という話を、忘れたことは一度もありませんし、その責任を果たす意図でもあります。変わらず僕はファンドレイザーとして活動を続けていきますが、その際に大事にしたいこと、特に「やらないこと」は明確にするため、ここに8つ、書き記しておきたいと思いました。

 

1)人権と資金が相反した時は迷わず前者を取る

寄付を集めるために、不幸な人や弱者を喧伝すれば…貧困家庭の子どもに感謝の手紙を書かせたり、頭を下げたりさせれば、その調達効率が上がるということは、実感としてもデータとしても確認されます。
けれど、その二つを天秤にかけることはしない。短期的に物や食料で助かったとしても、中長期的には格差や差別的な構造を固定化する、スティグマの助長につながることを懸念しています。

2)新自由主義の推進に加担しない

ここ数年、国内の至る所で公共施設や文化事業への税支出が削減されつつあります。そしてそのことが、ファンドレイザーやクラウドファンディング事業者の活躍や収入増につながり、結果的に歓迎されてしまっています。
それは、公共を縮小・解体し、市場原理に基づいた民営化を推進する、まさに「新自由主義」の動きそのものです。これが加速させられることは、「稼げる文化」や「競争する自治体」のような価値観を正当化し、目立つものや大きなものだけが生き残る、格差社会につながります。

3)寄付者に開示できない手法は使わない

ファンドレイジングには、マーケティングや心理学、行動経済学のノウハウを駆使したツールやテクニックがあります。けれども、時にそれは「巻き込む」という言葉のもとに、人の感情や行動を思うようにコントロールできてしまう欲望によって、倫理的なバランスが崩れることにもなりかねません。
僕は、広告代理店的に市民を客体化するような、少なくとも、寄付者に堂々と説明できないような手法は使わないようにします。

4)寄付先を誘導しない

ファンドレイザーは、寄付集めをするだけではなく、寄付をする側の視点を持ち、その団体に資金を託すことができるのか、目利きができなければいけません。一方で、信頼は「する」ものであって、「される」ものではない。市民が考えて選ぶからこそ、社会課題や、地域の未来、困難の当事者に思いを馳せることができるのであり、その思索は資金そのものよりも尊いと思います。
だからこそ、ラクさせて、その機会を奪わない。「どこに寄付すればいい?」と聞かれた時に、自分の知り合いやクライアント、利害関係があるような団体、有名な大手に誘導するのではなく、探し方や観点を紹介するようにします。

5)キックバックを受け取らない

この10年で様々なNPO向けのITツールが発達しました、クラウドファンディングはもとより、クレジット決済、支援者管理データベース、会計ソフト、物品寄付などなど。それらの事業者の殆どは営利企業であり、利益を追求することは間違ってはいないと思います。
けれど、ファンドレイザーが代理店のようになって、そのツールの導入をクライアントに勧めたらいくら紹介手数料がもらえる…という仕組みの中に入ってしまうと、公平に提案ができなくなってしまいます。常に、複数のツール比較とその選択のための視点を提供します。

6)外注しない/代行させない

ファンドレイジングは、単なる資金調達部門や担当者の「いち業務」ではなく、市民とNPOのコミュニケーションの基盤であり、活動にかかる理念のコアや、組織文化と直結するものだと位置付けています。
そのため、決して一人だけに任せてはいけない、理事や事務含め組織全体で考え行動し続ける役割であり、まして、外部のフリーランスや業者に外注するものではないと考えていますし、自分やアカツキで引き受けることもできません。

7)事務を蔑ろにしない

ファンドレイジングには、販売や営業担当のような側面があります。しかし、事務処理のルールや仕組み、ルーティンが確認されないまま収入が増えると、寄付であれば支援者へのお礼やコミュニケーションが煩雑になり、漏れが起き、信頼を失う。助成金や補助金であれば申請した計画通りに実行できない、報告が間に合わず、結果、偽装や誤魔化しを生んでしまうリスクがあります。
代表やファンドレイジング担当は組織の前面に立って目立ちやすいですが、個人で方針や計画を決めて突っ走るのはなく、ただ収入が増えればいいのではなく、会計や事務と対等にコミュニケーションを取りながら進めることを大事にします。

8)他人の不幸をチャンスにしない

虐待や殺人のような劇的で不幸な事故、また有名人が関わる自死・薬物・不祥事等がマスメディアで大きく報道されるようなことがあると、それらのテーマを取り扱う活動は注目が集まり、寄付が集まりやすくなる、ある意味「チャンス」が訪れます。自然災害はその最たるものかもしれません。
社会課題に注目が集まることはとても大切なことだと思いますが、そのことを資金調達のプロモーションにつなげてしまうことは、誰かの不幸を自団体のために利用することにもつながり、またその機会を期待「してしまう」心理と距離をとることが難しくなるリスクがあると考えています。
自分の身の回りの家族や親しい人たちにも、自死をはじめとして様々な出来事がありますが、それらを、原体験やストーリーとして利用することは、避けたいと思っています。


実際、身の回りにいる尊敬するファンドレイザーたちは、国際NGOであれ、地域のサークルであれ、資格に関係なく、独自の現場の知見や体系化されたノウハウ、そして理念や信念を持っています。これからも、NPOとファンドレイジングについて考え、学び続けていきます。


最後に。
僕は、NPOのファンドレイザーとして、「金を扱うからこそ」「金では動かない」ことを信条にしたいのだと、この文章を書くことを通して気づくことができました。
それは“清貧”を目指すという意味ではありません、強い意思や誰かとの約束を持たなければ“濁富”に陥ることは容易いからです。業界の構造や、お金を持った人や、権威に影響されない、自由であるからこそ、市民と非営利組織の間に立つことができ、企業も行政もやらない、市民の活動を前に進めることができると信じています。
誰かに測ってもらうための「価値」ではなく、自分たちで見出す「意味」のために。

− R.I.P. 敬愛する 大澤龍 御大に捧ぐ